5年前の夜。
小学2年生になった涼は、4月に誕生日を迎えていた。2階の自分の部屋で電気を消して、床に座ってベッドにもたれかかっていた。母はいつものように、外出していて、父もこの日帰りが遅いと分かっていた。家で1人きり。ベランダへの窓には薄い緑色のカーテンをかけている。膝を抱えて、時間を過ごしていた。
(寂しい)
言葉にするわけではないが、漠然とそういう感情が沸き起こっている。小さな涼にとっては広い家で、1人きり。何か音楽をかければいいのかもしれないが、そういう気にもならず、ずっと孤独に耐えている。そんな時、ベランダからかすかに音がした。そしてベランダにふんわりと青い光が差したような気がして顔を向けた。
「!」
そこには髪の長い、華奢なシルエットの女の子が立っていた。
涼は驚きのあまり言葉が出ない。でもすぐに動いて、カーテンを開けた。
涼はさらに驚いた。背丈は自分より少し高いか。月夜に照らされて艶めく青く長い髪、青い長いまつ毛の潤んだようなグリーンの瞳。少し薄い赤い唇。涼は今まで見たこともないような、天使のようなその彼女を観て、一目で惹かれてしまった。
その子は涼の事をじいっと見つめている。それでふっと気が付き、涼は窓を開けた。
「あ、あの…」
「…」
涼は家の中へと誘った。
「君、その、部屋へ入る?」
「…」
その子は何も言わずに、招かれるままに部屋へと入った。
(うわあ…凄く綺麗…)
涼は今まで感じていた孤独がどこかへ行ってしまい、逆に宝物を手にしたように浮足立っていた。
その子はまだ話さない。その代わりに…。
「ぐう」
その子のお腹の音が鳴った。
「お腹…空いてるの?」
よく見ると、彼女が身に着けていた、黒い、素材は分からないが、ボディスーツの様な服はほこりだらけで、顔色も悪いように思った。
「そうだ!服、洗濯してあげるよ!ご飯も…うん、おにぎりなら作れるかな。来て!」
涼は強引にその子を連れて1階へと降りた。
「ここにバスタオルと、僕の服を置いておくから、かわりに着てね。女の子にはちょっと似合わないかもしれないけど…」
「…?」
「?」
涼はばたばたとお風呂場へ案内した子のお風呂の支度をする。その子はまだ何も言わない。
「あ、えっと、分かる?お風呂の使い方。お湯ははれたから…。これがシャワーね。こっちがお湯で、こっちが冷たい水だよ。どう、分かる?」
その子はコクンと頷いた。
「じゃあ、僕、ごはんの支度してくるから!」
そういって量はその子を残してキッチンへと向かった。
「うーんと、お釜にご飯はあるし…。何がいいかな…。卵を焼いて。おかかのおにぎりを作ろう!」
そうしてあの綺麗な子の為に、ご飯を用意しだした。
一時立って、あの子の様子を見に行く。
「大丈夫?」
その子は涼にとっても少し大きめのネイビーの柄のシャツと黒いスラックスを着て待っていた。
「よかった、着れたんだね、あ、髪も乾かす?」
その子はまたコクンと頷いた。
ドライヤーを使って、長い青い髪を乾かすのを涼は手伝った。
その子は洗面台の鏡をぼーっと見ていた。
「もう乾いたかな」
「…ありがとう」
「あ、どういたしまして!」
初めて言葉を発してくれたことが、また嬉しくて涼は舞い上がってしまった。その子をダイニングのテーブルについてもらって、涼は食事を並べ始めた。その子は目をまあるくして、驚いた顔で涼を観ていた。食事は大きいおにぎり2つに卵焼き、そしてお味噌汁だったが、その子にとっては特別な意味をもっていたようだった。
「これしか出来なかったけど…」
涼は少し恥ずかしそうにしていたが、その子はとっても嬉しそうな顔をしてくれた。
「いただきます」
1口、また1口とゆっくり食べているその子を涼は嬉しそうに見ていた。ゆっくり噛みしめるように食事をするその子を、涼はずっとキラキラと輝く瞳で見つめていた。
「ごちそうさまでした」
食事を終えたその子は、涼が洗い物をするのをじっと見ている。さっきよりも潤んだ瞳で。
片付けが終わり、涼はその子を連れてまた自分の部屋へと戻った。
話が聞きたい。君の事を。
そう思って涼は話そうとするが、何から聞けばいいのかわからなかった。そうしていると、その子の方から話しかけてくれた。
「ありがとう」
「え?」
小さな声で、涼は聞き逃さないようにした。
「名前…俺、レッチェ。君は?」
「ぼ、僕は涼。風見涼だよ」
照れるように自分の名前を人に伝えたのは初めてだった。でも1つ引っかかることがあって…。
「え、と。俺?」
一人称が俺だったその子の事を、気になって聞いてみた。
「うん。俺…男の子だよ」
「………ええ!?」
「君は女の子?」
「ち、違うよ!男だよ!」
こんどはレッチェが驚いたようで。
「そうなの?」
そう言って、少し笑った。
(笑ってくれた…)
「じゃあ俺達親友になれるね」
「親友?」
レッチェの優しい顔を観て、涼はその言葉を頭のなかで繰り返した。
それから少し2人はベッドにもたれかかって、話をした。
レッチェは涼の話を聞いているだけだったが、とても嬉しそうだった。涼は学校での事や通っている道場、両親の事を話した。今出会ったばかりなのに、昔から知っているかの様な気がしていた。
しばらくして、レッチェは涼に告げる。
「俺、そろそろ行かなきゃ…」
「え…」
「涼ちゃん。また、来てもいい?」
「も、勿論だよ!必ず来て!」
涼はベランダへとレッチェを見送る。
レッチェは涼に抱きついた。ふわりとシャンプーのいい匂いがした。
「必ずまた来るから」
「うん」
そう言って、レッチェは涼から離れ、ベランダから飛び上がって、他の家の屋根へと伝って、そのまま行ってしまった。
涼はその姿が見えなくなっても、しばらく外を見つめていた。
「絶対、また会える」
そんな予感が、涼にはあった。
To be continued